Crystaline [クリスタライン]

スチームパンクファッションを普段着にしているWebデザイナー、Crystalineの日記。スチームパンクな自作アクセサリーやファッションについて発信しています。作り方やスチームパンクについての基礎知識も。

久しぶりに日記的なもの

よく見る夢がある。高校生当時の友だちと当たり障りのない会話をして、楽しくはしゃいでいる、というものなのだが、起きると無性に悲しくなる。なぜなら、その何でもない日常が過去のものであり、二度と戻らない日々だからである。
小中高と奇人とはいえ、物珍しさから友だちには恵まれ、周りには耐えず人が集まり、何か困りごとがあるとどこかから颯爽と誰かしら助けにきてくれる、という、他の人の話を聞く分にはかなり恵まれた環境だったようだ。
高校時代は誰もがそうであるように、人生の意味を模索し、それを友人と大真面目に語っては、人生最期の時をおぼろげに思い描いたりしていた。いわゆる高二病というやつだと思う。
当時家にまだ珍しかったCATVのインターネット回線が来たことで、毎日のように書いていた机の上のひとり言は、インターネットの掲示板に移動し、年配の諸先輩がたと交流するうちに、どんどんと色々な世界を知るに至った。
けれどまだテキストサイトすら検索してもあまりちゃんと体裁の整ったものが見つからないような時代だったので「インターネットにこそ真実が!」とはならず、ただただ人生の意味について四六時中語るのが常だった。
ありがちなことだが、明け方までIRCチャットに出没することも多くなり、寝不足の日が続く。同級生たちは日に日に鬱々としていく私を心配し、インターネットをやめるように説得する人も現れ始めた。
元々人にはあまり内面を見せず、机に延々と思ったことを書きつづっているような人間であったので「どこかに書き連ねた文章を誰かに読んでもらう」というのは大変な楽しみだった。
インターネットにハマると同時に携帯電話を持ち始めたこともあって、まだ文字数に制限はあったものの、学校を下校してから多いときは5分に1度の頻度でメールをやり取りする、というショートメールのヘビーユーザーでもあった。
今思うととても不思議なことではあるが、インターネットや携帯電話以前は手紙以外に音声を用いない相互コミュニケーションツール、というものが皆無だった。特に私のように喋ることに大変な労力を必要とする人間にとっては、紙や切手を必要としないテキストメッセージというのは、まさに文明の利器。
常に色々と考えてはいたものの、それをアウトプットすることはないので、ここまでの流れでお察しの通り、だんだんと依存していくようになった。
最初はあまり内面を話さない私が色々と吐露するので、大事に思ってくれていた友人たちだったが、徐々に共依存(お互いをお互いに束縛し合う関係)のような雰囲気になってしまい、最終的にはそのほとんどの人と号泣しながら決別するという、大変凄惨な結末を迎えた。その間は何でも話し合えてとても楽しくはあったけれど、とても重くツラい時間だった。
それから15年以上。あれだけ頻繁だったメールのやり取りは仕事を除いて日に1度書くか、書かないかというほどになり、当時はよく頻繁に長電話もしていたものだが、最近は着信にも気づかないほど電話を見なくなってしまった。親族との連絡もそんな感じなので、よく怒られている。
苦い経験を経て、人間関係の難しさに懲りてしまった、という感じなのかもしれない。人間と人間をつなぐ機械は恐ろしい。
そしてその後遺症とも言うべきか、未だに高校生当時のようなオープンな人間関係を築くことはできていない。
当時の知人たちとはどうしたか、というとたまに手紙(この時代にアナログだけれど)で連絡があったり、誕生日にSNSでメッセージを送りあったりするぐらいだ。
私が疲れ果ててしまったとき、一気にメモリを全消去するという暴挙に出て以来、誰の連絡先も分からないし、実家にたまに「連絡先を教えて欲しい」という人から連絡があるようだが、全部断ってもらうように伝えているせいもある。
思い出はたくさん残っているし、こうやって夢に見ることもあるから、寂しいわけではないけれど、よく見るということは当時の愚行を悔いているのは確かなようだ。
みんな許してくれているのだろうか。こういうと絶対に許してくれそうな気もするが、自分を罰するためにも、許されない方がいいのかもしれない。

当時よく聴いていたPizzicato Fiveの「華麗なる招待(The Great Invitations)」がよく頭の中をリフレインする。いい歌だと思う。
夢を見ている間は私は高校生で、あの日の会話の続きをまだ楽しんでいる。